これまで、可視化されることや、気に留められることがほとんどなかった「男性の生きづらさ」。SNSでも男女間の不平等や格差の話題において、「女性のほうが不利な立場に置かれているのだから、男性の生きづらさなんてないでしょう」という見方もありますが、男性が自らの生きづらさに向き合うことで、男女の不平等や格差の解決への一歩になるのではないかという考えもあるようです。文筆家の清田隆之さんに伺いました。
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清田隆之 文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。「恋愛とジェンダー」をテーマに様々な媒体で執筆。著書に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)など。新刊『どうして男はそうなんだろうか会議――いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(澁谷知美さんとの共編著/筑摩書房)が発売中。Twitter→@momoyama_radio
昔からあった問題がSNSにより注目されやすくなってきた
――男性が女性に対して差別的なことを言って炎上したり問題になったりすることが少なくないように思うのですが、最近の事例や傾向などはあるでしょうか?
昨今ニュースなどで話題になった事例を挙げてみると、
- 社会や会社の意思決定の場所に女性がいない
- 男性登壇者だらけのイベントの写真が「これってどうなの?」と話題になる
- 自衛隊や舞妓さんの世界、映画界での性暴力が取り沙汰される
- 医大の入試で女子学生の得点が一律で減点されていた
- 東京オリンピックの際に、「女性がいると会議が長引く」という発言で組織委員会の会長が辞任したり、製作スタッフが性差別的発言で役職を追われたりした
- 選挙において、セクシュアルマイノリティへの差別的発言や、「お父さんとお母さんがいて正しい家族」という家族観を前面に押し出して演説した候補が当選した
また、SNSにおける個人アカウントの発言でも、
- 「女性がソロキャンプをすると男性からの性暴力に遭うリスクがあってとても怖い」と訴える女性に「女がひとりでキャンプをするなんて、襲われてもいいと言っているということだろ」と反応した男性が炎上した
- 痴漢の問題が取り沙汰されると「冤罪のほうが怖い」という男性からの反論があった
- 男女の賃金格差の問題に触れると、「能力で選んでいるから妥当な結果だ」「格差を埋めたかったら女は努力しろ」という発言が出てきた
……など、社会的に話題になるレベルでも、個人のSNSでの発言レベルでも、事例は無数にあると思います。
最近はそういった事柄が炎上したりメディアで騒がれたりするようになり、「言動の背景に性差別的な価値観がある」ということが盛んに語られるようになってきていると感じます。そのうえで、CMが放送中止になったり、偉い人が立場を追われたりもしていますよね。 SNSが無かった頃は、明るみに出ずに被害者が泣き寝入りしていた例がたくさんあったと思います(もちろん今でも依然たくさんあるとは思いますが……)。一方で、それらに対する反発から、「キャンセルカルチャーだ」「何も言えなくなった」「不自由で息苦しい」と言う人もいます。それでも全体的な傾向としては、“男性社会の闇”のようなものが告発され、メディアでも取り沙汰されるようにはなってきているのではないでしょうか。
――「取り沙汰されるようになってきた」ことが、最近の傾向として大きいですね。SNSが台頭したことと関係しているように思います
全く着目されることもなかった時代から、男女の平等に向けて粘り強く運動を続けてきた人たちが無数にいるはずです。SNSによって問題が可視化されるようになってきたのも、そういう長年の活動という下地があったからで、最近急に注目されるようになったわけではないと思います。
そういった歴史的な積み上げの上に存在している現在の流れに対し、男性はどう応答すべきか。男性優位な社会構造を変えていくためにも、今その問題が強く問われているように感じます(もちろん、男性全員が差別的なわけではないですし、「男性/女性」の二元論的で語れる問題でもないのですが、ここでは構造を分かりやすくするためにいったんそういう言い方をさせていただきます)。
問題が盛り上がって取り沙汰されることは大事ですが、声を上げた人が危険にさらされてしまうこともあります。男性からの性暴力や性差別に対して告発した人が「売名行為だ」「本人にも問題があったのでは?」などと叩かれてしまうケースも無数に起こっていますよね。問題が大きくなるほど反動的なリアクションも増えていき、これを放置すると、どんどん声が上げづらい方向へ進んでしまいかねない。それで、女性たちが中心になって「連帯しよう」と署名運動が立ち上がったり、法的に保護できるように周りの人が立ち上がったりと、重層的なアクションが起きているのだと思いますが、一方で男性が動かないことにはどうにもならない部分もあり、男性が向き合うことが進んでいったらいいなと個人的には思っています。
自分が抱えている困り事に気付かないことも
――「男性が応答しないと変わらない」という話こそが、「男性が抱える生きづらさ」に直結していると感じます。例えば、何かあると人に暴力をふるってしまう人が、言葉の訛りを直したら暴力をふるわなくなったという事例を聞いたことがあります。その人は、しゃべると訛りをバカにされるんじゃないかと恐れて、何か言われる前に手を上げてしまっていたようなのです。その事例のように、誰でも自分の抱えている困り事を解決すれば人への迷惑な行動をしなくなるということもあると思うんです。逆にいえば、抱えている困り事を解決できないと他人に迷惑をかける行動を続けてしまうということでもあります。そしてこの「抱えている困り事」が、取りも直さず「男性が抱える生きづらさ」のように思われます
無自覚の傷つきが他者への暴力につながってしまうことってありますよね……。複雑に絡まり合う加害者性と被害者性の関係は、男性性を考える上で重要な問題だと感じます。
社会の中での振る舞いって、「いつのまにかこういう感覚や価値観が自分の中に存在していた」という感じでインストールしてしまうものですよね。子どもの頃からの周りからの扱われ方、社会やメディアが発しているメッセージ、親を含む周囲の人間関係の影響など、どこで何に触れてどういうふうに出来上がるのか、はっきりとは分からない。だから、自分が性差別的な価値観を持ってしまっているかもしれないことをなかなか自覚できないと思うんです。
無自覚な部分と向き合うためには言葉が必要です。例えば「ルッキズム」とか「マンスプレイニング」といった言葉に出会うことで、性差別的な言動や思考回路が可視化され、共有されていく。そうやって初めて「自分の置かれている状況や、これまで発してきた言葉、取ってきた振る舞いが差別的な感じになっていたのかな?」と気付いていくことが多々あると思うのですが、一方で知る機会や学ぶ機会がなければ、差別的かどうかについて自覚することもない。
仮に誰かを傷つけてしまっている男性がいるとして、指摘や抗議を受けたとしても、「何を言われているのか分からない」「俺は女の人をバカにしていない」と、コミュニケーションスタートの糸口すら掴めないことが、ジェンダー問題の大きな壁ではないかと思います。そういった構造の中では、男性も男性特有の生きづらさを感じているとしても、自覚を持つことができない。それは自分が困り事を抱えていることにも気付かないということで、男性にとってしんどいことだと思います。
「つらい」「苦しい」「嫌だ」を無視せず言葉にすることが大事
――自分が差別的な言動で誰かに迷惑をかけているかもしれないことにも、自分も生きづらさを抱えているかもしれないことにも、自覚的になる機会がないというのは、なかなかつらいことのような気がします。そういったことに気付けるようになるには、どうしたらいいでしょうか?
生きづらさというと大きな問題に聞こえますが、「苦しい」「嫌だ」「うまくいかない」など具体的な体験や感情の話なので、それに自覚がないというのも本来は妙なことだとは思います。ただ、「男らしさ」にまつわる規範は自分の気持ちや感覚に鈍感であることを求めてくるので、それらを内面化してしまった結果ともいえる。それに気づくためには、読書や対話を通じて様々な言葉に出会うことが第一歩になると思います。 そして、自分の加害者性と向き合うためには、内なる被害者性みたいなものが手当てされる必要があると思います。たとえば、「仕事がつらい」という思いを抱えている方は少なくないと思いますが、自分自身が発しているそのシグナルを拾わず、「もっとがんばろう」「気合で乗り越えよう」「酒を飲んで忘れよう」と無視してしまうことってよくありますよね。「つらい、苦しい」という自分の気持ちを無視して追い詰められてしまっている時に、女性が賃金格差や性暴力被害、セクハラなどについての異議申し立てをしているのを耳にすると、その内容をまっすぐ聞くことができず、むしろ「俺はそんなことしない」「男をひとくくりにするな」という反発心が出てしまったりする。
メディアやSNSで取り沙汰されるジェンダー問題において、男性は概ね加害者側に振り分けられていますよね。男性である自分は間接的に加害者側に含まれる構造になるので、どこかしらで居心地の悪さや不快感が発生してしまう。それ自体は致し方ない部分もあると思いますが、そのときに自分の被害者性がきちんと手当てされていないと「俺だっていろいろ我慢してる」「女ばっかりズルい!」となりかねないというか……。そういう反発心が出た時って、自分の中の何かが刺激されているんだと思うんです。そしてその感覚は、「自分は何が生きづらいのか」を言語化するためのヒントになるはず。苦しみや違和感をひとりで言語化していくのはなかなか難しいですが、男性同士で語り合う機会が増えれば、言語化や共有が進んでいくのではないかと考えています。
取材を終えて
男性が自分自身のつらさや苦しさに向き合っていいし、それを言語化して表現していい、というメッセージは男女問わず多くの方に届いてほしいと思いますし、そのように男性がつらさや苦しさに向き合うことが男女の不平等や格差の解決につながるというメッセージも大変重要な示唆に富むように思います。
取材・執筆
柳田正芳 from 性の健康イニシアチブ/6483works
「誰もが自分は自分に生まれてよかったと思える世界」を作るために「どこに行っても性の健康を享受できるように社会環境をアップデートすること」を目指す性の健康イニシアチブの代表。2002年から国内外の性教育、性科学の様々な活動に参加してきたほか、思春期保健や両親学級などの活動も経て現在に至る。
また、編集/校正業、執筆業、Webメディアディレクション業などを業とするライティングオフィス・6483worksの代表としても活動。インタビュー記事の制作を得意とする。
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